基地の町コザ・ゲート通りから

コザ・オーシャン

2018年02月12日 13:49



長らくサボってたブログを、久しぶりに書く。
基地の町コザ・ゲート通りのAサインバー「オーシャン」。
名護市長選から1週間たち、忘れている人、忘れたい人も多いだろう。
嘉手納基地と目と鼻の先、いつも感じていることを書く。

基地経済は、基地以上の経済にはならない。未来はない。
次世代に引き継いでほしい経済ではない。
嘉手納基地の門前で50年以上商売しているオーシャンだから言える。
基地経済は”イロモノ”だ。
もちろん、基地を見に来る観光客もいるが、
そういう人も基地をチラリと見るだけで、その後リゾートで沖縄を満喫する。
(すなわち基地の町に落ちるお金はわずかだ)
それに比べて、「コザは怖いから行かない」という人は多い。那覇の人なんかよく言う。
基地とは、ふだん目にしなければ忘れることのできるものだ。
「基地の近くにいる人は見返りをもらっているから」と言い訳もできる。

「嘉手納基地のおかげで商売してきたくせに」と思うかもしれないが、
はっきり言おう。
もう嘉手納基地もいらない。
「昔この町に基地があった」っていう歴史だけで食べていけるぜ。
すでにオーシャンの米兵客比率は数パーセントだ。
何度でも言おう、基地経済に未来はない。
辺野古の商店街も、金武の商店街も、そう感じているだろう。
辺野古沖に基地が出来ると、それは動かせなくなる。
観光立県沖縄といいながら、基地の町は観光では生きていけず切り捨てられる。
北部の東海岸は切り捨てられるかもしれない。それが心配だ。

オーシャンは、すべての基地と戦争兵器に反対だ。
だから辺野古新基地建設にはもちろん反対だ。
だいたい、人間の手で元に戻せない、
あんな美しい海を埋め立てるなんて、子々孫々までの罪にならないか。
古来から祖先が大切にしてきた沖縄の海。
なんだかんだ言って、美しい海があるから観光が生活が成り立つ。
辺野古は沖縄の経済から切り離されないか。
何度でも言おう、「基地経済はイロモノだ」。

名護市民は、辺野古問題を争点にしなかった渡具知新市長を選んだ。
「辺野古問題は名護市だけに押し付けられる問題ではない」と突き返したのだ。
反対派も容認派も、名護市に判断を押し付けてきたことを反省すべきだ。
あらためて広く県民が考えるいい機会をもらったのだ。
願わくば、若いお母さんたちのように、
子どもたちの未来を考える(利益に誘導されにくい)、
あるいは、50年後、100年後の辺野古の海をみつめる子孫の気持ちになって、
落ち着いて考えよう。

ところで、稲嶺進・前名護市長に対しては、人として、ほんとに頭が下がる。
主義主張や実績、それはわからないが、
人口約6万2千人規模の市の市長が、
国と真向から対峙して8年間それを貫いた。
なかなか出来るものではない。
いや、そんな気骨のある政治家は、カメジローや大田元知事、他にいたか?
まずはぜひ、盛大に慰労会というか、リスペクトするパーティーを開いてはどうか。
県民大会ぐらいの規模で、盛大にやってもいいぐらいだ。
なんなら、基地の町コザ・ゲート通りのこのオーシャンでどうですか?
誰か稲嶺前市長と知り合いの人がいたら、伝えてください。
ただし会費制で。

久しぶりのブログ、長く書きすぎた。
オーシャンは基地の町コザ・ゲート通りのAサインバー、
今はタコスと音楽で、ギリギリだが生き残っている店だ。

ロックミュージシャンではないが、いや、ミュージシャンですらないが、
ロックなことを言いたい時はあるのだ。

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